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桂吉坊公式ブログ「坊's 茶屋」


無題

2010/03/28(Sun)00:02

HPの座布団のメールフォームに、お問合せがありました。
先日の月島での落語会、お囃子は? とのご質問ですが、三味線は大阪から大川さん、鳴り物は僕とまん我さんでの手代わりでした。手代わり、とは、たとえば僕の高座が終わればまん我さんが囃子を打ってて、おりてきた僕と交代して舞台に上がる、僕は太鼓打っているというような事です。人数の少ない落語会ではよくある光景です。
実はこの日は、弟弟子の吉の丞が、別件の仕事で東京に来ていまして、わざわざ着物も持ってこっちにも来てくれたのですが、本人の仕事の時間の関係で残念ながら出演は叶いませんでした。けど、そこで着物も持って来てくれたという所がこの男の嬉しいところです。時間の許す限り、手伝ってくれました。
そして、当日はたくさんのお客様、本当にありがとうございました。次回は6月になりました。また詳細が決まり次第にアップします!

先日久しぶりに、一日中舞踊会に行ってました。11時間も見ていると(何番かは、表に出たりしてますが)、酔います。なかなかこんな長丁場の会は無いです。入門するもっと前、朝から晩まで舞踊会に立ち見していて見飽きなかったことを、うちの師匠にあきれられたことを思い出しながら拝見しました。
うちの師匠も舞踊会などには深くかかわる機会が多かったので(師匠自身も好きでした)、僕も何度もそれで伺ったり、自分で伺って裏から見せてもらったり、今もそうですが本当にありがたい事です。何より僕には師匠という、指南してくださる人が居てはったので、師匠の言われるままに見ていて何の抵抗もなく楽しい時間を過ごせたことが、今だに舞台に対する抵抗感なく一日中いてられるのだと感謝です。

また最近、錦影絵の演目で、思わぬ発見がありました。まだちょっと僕自身も勉強したせないかんとこもあり、また調査も必要な(んな大層な)、面白いつながりなので調べたいと思います。
僕の基本的な姿勢は、錦影絵は複製を作ることが後世への継承ではないと思っています。昭和の初期にすでに「滅んだ芸能」として、値打ちを持たせて興行した錦影絵ですから(早い話、映画に負けた)、今やっているのはまさに奇跡、奇怪千万です。その時々に、数人が名乗りを挙げて映写技術を一部継承しました。もちろん、金もうけでは無く、ただ好きとしか思えません。
使っている道具の修理もできないようでは、錦影絵師としては本来どうかと、自分自身に思います。もちろん落語家が本来の生業ですが、今こうして錦影絵をやらせて頂いている身としては、これから先のことを考えると
複製をつくった所で只昔の事「しかできない」のは、もう限界の時代ではないかと思います。
まだ青いのを百も承知ですが、青いと言うて頂けるうちに何か演者として錦影絵がこれからも楽しんでもらえるように、あの「古くさくて」「しょーもない」面白さ、それを「やりたい」と思う演者が現れるようにすることが継ぐという事での、対演者として大切な事なのではないか、そう思います。


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