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桂吉坊公式ブログ「坊's 茶屋」


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2025/02/13(Thu)16:24

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さまざま色々

2011/11/24(Thu)15:14

 吉坊です。
 先日は無事に「吉坊ノ会」を山本能楽堂にてやらせていただきました。ご来場下さいましたお客様、ありがとうございました。ここに改めて御礼申し上げます。また、今回はいつもと違い、平日の夜だった事もあり、伺えないが頑張れと、応援して下さいました皆様にも厚く御礼申し上げます。
今回初演でした「浮かれの屑より」(12月東京深川江戸資料館でもやらせていただきます)、うちの師匠吉朝の高座を元に、林家染丸師匠、舞の部分は山村若師匠にご教示いただき、事故もケガも無く、つとめさせて頂きました。当日は後輩達がほぼ全員初めてのハメモノをやって支えてくれました。本当に感謝しております。そして、毎回スタッフとして僕が舞台のことだけできるよう、尽力して下さった西林事務所の皆様、重ねて感謝です。

 さて、昨日は立川談志師匠が御逝去であったとのニュース。全国を駆け巡りました。
初めてお会いした内弟子時分、インタビューをさせて頂いた時のことなど、いろんな事が思い出されます。直接教わった事は少なくとも、とても大きな事ばかりでした。繁昌亭の会に御越しになりましたとき、後席で米朝師匠と話をされているのを横で伺わせて頂いた事、幸甚でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。

 そして(まだあるのか)。
 
 このたび、咲くやこの花賞を受賞いたしました。
師匠吉朝はじめ、歴々の師匠先輩がたが受賞なさった、上方芸能界の新人賞みたいなもんやと言われました。まさにその通りかと思います。まずはムチャクチャ嬉しいです。ほんま。
奇しくも師匠七回忌追善公演のまえに、そして七回忌という節目の年に、30才のこの年に。
事前に告知を受けた時、大師匠米朝にこっそり報告しました(すんません)。大師匠が「おおっ、そうか、おめでとうさん!」と仰って下さいました(嬉!!)
桂吉坊を育てて下さった師匠、大師匠に、言葉に尽くせぬ感謝の気持ちで一杯です。そして見守って下さっている方々、お客様も含め皆様に感謝でございます。
 これは新人賞であるという事は、これが始まりだという気持ちで、さらに精進致します。
 今後とも、宜しくお願い致します。

                                  桂吉坊 拝
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No.156|受付無しCommentTrackback

七回忌という6年。

2011/11/08(Tue)21:15

 「亡くなってから、お通夜、葬式、昨日のコトみたいですねー」という言葉に、皆がうなづきながら、「でも色んな事が変わったなー」と、相変わらず吉朝一門は止めどなくしゃべっていました。
桂吉朝という藝に、人に憧れて、7人の弟子が生まれて。
 もっと、師匠に弟子として甘えたかったなあと思う反面、師匠が今もいてはったらこんなに皆頑張ってないよな、とも。詳しくは口に出さないけれど、皆それぞれ同じ志がある。そんな気がします。

 ゲラゲラ笑って、真剣に話し合いして。だいたい毎年この日はそんなことしております。

 長兄あさ吉兄は、仕込みに仕込んだポトフを持参。絶品でした。師匠に供えるのを忘れて食べ尽くしました。…これも、大体毎年ですね。師匠、すんません。

 七回忌公演、一門会ではそんな事も話題になるかと。皆様のお越しを御待ちしております。

…もちろん、17、18日の「吉坊ノ会」も!!!宜しくお願い致します!!!!!

No.155|受付無しCommentTrackback

吉坊ノ会

2011/10/28(Fri)10:40

自宅の窓の外にあった簾が、風で下半分がちぎれてしまいました。まるで芝居のあばら屋の一部分のようです。面白がってまだ吊るしております。

さてさて。

先日は東京 文化放送かもめ亭にて、桂吉坊の会をやらせていただきました。ご来場下さいました方々に厚く御礼申し上げます。秋の噺「狐芝居」と、「崇徳院」の二席。ゲストの松尾貴史さんは「くっしゃみ講釈」、前座にはかもめ亭では一番出番が多いと言われる立川こはるさん「権助魚」、舞台番には講談社講堂での吉坊ノ会でもお世話になりました春風亭朝呂久さん。ことに、こはる、朝呂久のお二人には慣れない「狐芝居」の囃子で違う汗を沢山かかせてしまいました。
僕自身は一日楽しく過ごしましたが、皆様は如何だったでしょうか。

さてさてのさて。

そんな余韻に浸る間もなく、いよいよ大阪「吉坊ノ会」が近づいて参りました。
今回は、11月17日と18日の2日間! 「浮かれの屑より」を初演いたします。ハメモノ(囃子)がふんだんに入る賑やかさに加え、噺家自身も暴れ回るという、毎月やっている【さばのゆ】では不可能な噺でございます(笑)。初日は「まんじゅうこわい」、二日目には「どうらんの幸助」と、二席とはいえ濃いぃ感じに仕上がっております。

そして、桂雀松師匠(17日)林家染丸師匠(18日)をお迎えしましての二日間、前をつとめてくれるのは、桂佐ん吉(17)桂吉の丞(18)!ご期待、そしてご来場賜りますよう、心よりお願い申し上げる次第でございます!

吉坊 拝

No.154|受付無しCommentTrackback

ご案内

2011/09/08(Thu)16:37

創元社『上方伝統芸能あんない』堀口初音著 インタビュー → 片岡愛之助(上方歌舞伎)、桂吉坊(上方落語)、豊竹英大夫(文楽)、大槻文蔵(能)、善竹隆司(狂言)、旭堂南左衞門(上方講談)、京山小円嬢(浪曲)、山村若(上方舞) の他、盛りだくさんの上方芸能ガイドブックです。僕も落語のページで色々。10月20日発売予定、よろしくです。

No.153|受付無しCommentTrackback

ですって!?

2011/08/23(Tue)15:53

何が、て。どういうわけか、もうすぐ30才になってしまうのですね。僕は認めてないのですが30年生きてるのは確かなのでございますよ。だから何、て。

10才の時は小学4年生でした。西宮に住まいする僕は、典型的なトラ吉少年時代を過ごしておりまして、当時「巨人にさえ勝てばいい」という欲の無い心で、阪神帽をかぶって学校に通ってました。当時の将来の夢は、たしか大工でした(野球選手ちゃうんか)。あの頃覚えているのは、担任の先生が、巨人ファンで(僕が生まれて初めて出会った巨人ファンでした)、毎日悔し涙しておりました。ホンマにあの頃の阪神は…弱かった(涙)。

20才の時、僕は内弟子でした。成人式は有りましたが行きませんでした。20才になったからって変わる事はナーンにもありませんでした。むしろ、20才やから認められる事より、かえって自分がガキだという事を思い知るばかりでした。
当時の夢は「内弟子を早く明けたい」。…不肖な弟子でした。

それから10年、泣いたり笑たり出会ったり別れたり呑んだり呑み潰れたり、めまぐるしく時は過ぎまして現在に至ります。未だにガキです。
おかげさまで、落語家です。
これからも、落語家です。

やりたい事が沢山ある、逢いたい人がいっぱいいる、

20代最後に花火挙げるとか、そんな事も無いですけれど、やっぱり一つ一つの舞台も、一人一人の出会いも、大切に、ほんでもって楽しくいたいなあと思う、早くも秋風の気配のする今日この頃でございます。

前向きなこと書いたつもりが、年よりくさいですね。「秋風」て、入れたからかな。

No.152|受付無しCommentTrackback