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2025/02/12(Wed)02:54
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2015/02/24(Tue)00:50
「落語は、形を含めて奇麗で、しかも見た後でスカッとせないかんと思います」
ウチの師匠の、とあるインタビュー記事の一言です。亡くなって10年になりますが、時折こうして、知らない師匠の言葉に出会います。落語は基本的には、言うた途端に消えゆく芸ですが(勿論、文字やとか音・映像はあれど)、こうして文字で師匠に会うような気分になります。
日本舞踊家の師匠が「曲を通して、お師匠さんに会う」ということを仰っていました。たしかに、そうだなと稽古していて思います。師匠、なぜここにこの言葉を選んだのだろう、とか。返事が返ってくるわけは無いですが、稽古していて、また舞台で喋っていて、ふと、ああ、これがひょっとしたら答えなのかなと感じる時があります。 もちろん、そんな時は滅多に起こらないのですが。
目下、「そってん芝居」の稽古。稽古と言うより研究のような状態ですが、初演にして最後の師匠の高座、内弟子の頃に同席させて頂いた米朝師匠のお稽古を思い出しつつ、楽しいものにしたいと思っております。
大師匠や師匠がされていたように、僕も髪結いの稽古に伺い、いっぱしの髪結新三…と言いたいところですが、その境地ははるか遠くです。。。
さて、そんななか先日、坂東三津五郎さんがお亡くなりになられたという、本当に悲しいというか、言葉を失う出来事が起こってしまいました。
「獅子奮迅の働きをして拍手喝采を得るというものではなく、きちっと古格を守って、楷書の芸をやりながら、そこのおのずとにじみ出る興趣、あるいは味わいを尊ぶという行き方です」
これが言えて、
これが出来て、
これからももっと観せて下さる人と信じておりました。
合掌。
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